−−−−−誕生日




 ―――白い部屋。
 目を覚ますと、自分が寝てるベッド以外何もない部屋にいた。
 ただ白くて・・・頭の中までその白さが浸透したように、私は自分がここに居る理由が思い出せない。

 窓もなく、ドアはあるけれど、その先に何があるかもわからない。

 ―――ここは、どこだ?

 何故、こんなところに居るのだろう。

 考えても、何も思い出せない。
 何か違和感がある。

 と、不意に耳が何かの音を捉えた。
 何かが近づいてくる・・・・・・足音?

 カツカツカツ・・・決して大きな音ではないけれど、多分、二人分。
 他に何の音も聞こえない分、よく届く。

 ―――誰だ?

 考える間もなく、音はやがて部屋の前で止まった。
 そして、開錠する音に続いて―――鍵が掛かっていたのか―――ドアが開いた。

「起きていたのか」

 入ってきた初老の男は、さして驚いた様子もなく言った。
 頭の髪はほとんど白髪・・・白衣を着た白い男。

 ―――医者?

「先生、薬を?」
「いや、もういいだろう。話をしよう」

 もう一人は、若い看護婦だった。
 白髪ではないが、肌が透けるように・・・病的に思えるほどに白い。白い女。

「気分はどうかね?」

 医者に訊かれたが、戸惑いの方が大きくて、首を傾げた。

 ―――ここは病院なのか?

「言葉はわかるだろう? しゃべれないこともないはずだ」
「・・・ここは、病院なんですか?」
「のようなものだな。今の君にとっては大差ないだろう」
「? 私は何故こんなところに?」

 自分の体を見ても、ケガをしてる様子はない。
 点滴をしているわけでもないし、病気にしても確かに多少筋肉の衰えはあるように思うが、
 肌の色は悪くないし、もちろん、なんの苦痛もない。

「それは・・・まあ、おいおいわかることだと思うが」

 医者の言い方に、どこか含みがある。
 一体、何を隠しているのか。

 ―――言えないような・・・不治の病、とか?

 考えてみたが、それはいまいちピンと来ない。
 そもそも病気で病院に来たなら、その記憶が・・・

 ―――記憶?

 ―――まさか、そんな・・・

 ようやく気づいた事実。

 違和感どころの話じゃなかった。
 いくら考えても、何も思い出せない。
 どんなに記憶の奥を探っても、何もかもが空白で。

 ―――私は、誰だ?

 記憶がない。
 何も、覚えていない。

 自分の名前も、家族も、家も、友達も、どんな生活を送っていたのかさえ。

 ―――何が、起こったんだ?

 記憶喪失。

 頭をよぎった言葉に、愕然とする。
 でも、いくら考えても何も浮かばない以上、認める他ない。

 両手を見下ろし、その手で自分の顔に触れる。

 今の私には、自分の顔さえ、わからない。

「カガミ・・・鏡はありませんか!?」

 思わず医者を見やり、身を乗り出す。

「鏡を見たいんです。どうか、鏡を!」

 自分の顔を知らないだけで、こんなに不安になるものだろうか。
 確かにここにある顔は、自分で見ることが出来ない。
 ただそれだけで、自分の存在がやたら不確かで。

 記憶がない。
 自分の顔がわからない。
 人間として当たり前のことが何も・・・

 うろたえる私に、医者はその表情を変えることなく言う。

「落ち着きなさい。鏡は後で持ってこさせよう」
「でも・・・」
「大丈夫。心配することは何もない」
「じゃあ、教えてください。私は何故ここに? 記憶がない原因は?」

 そう、私自身が知らなくても、この医者は知ってるはずだ。
 患者のことを知らないはずがない。

「先生! 何か事故が・・・!?」
「まず落ち着きなさい。興奮は体に良くない」
「・・・・・・」
「話すと長くなるが・・・君は、事故にあったわけではない」
「事故じゃ、ない? じゃあ?」
「もちろん、病気でもない。いや、これも病気の一種ではあるが」
「・・・?」

 まるで、わからない。
 この医者の話はどうも歯切れが悪くて・・・

 首を傾げる私を余所に、医者に目配せされた看護婦は頷いて、部屋を出て行った。
 すると、そんな看護婦など最初からいなかったかのように、医者は向き直って言う。

「一度に説明すると混乱も大きいだろう。今日は少しずつ説明するが、とりあえず来てもらう場所がある」
「場所? どこへ・・・」
「ずっと寝たきりだった分、歩けないだろう。今、車椅子を持ってこさせるから」

 ―――ああ、看護婦は車椅子を取りに行ったのか。

 ぼんやりと納得して、結局、質問の答えは得られていないことに気づいた。
 しかし、もう一度繰り返すより先に、医者が言った。

「建物の外に出るわけではない。ホールで皆が待っている」
「皆?」
「そう、君と同じく、今日一日に目を覚ましたヒトたちだ」





 わけがわからないまま、すぐに戻ってきた看護婦の持ってきた車椅子に乗せられた。
 確かに、思ってた以上に筋肉は落ちているらしい。
 一人では乗り移るのも困難だった。

 医者と看護婦に手を借りて、なんとか乗り込むと、看護婦に押されて、私は初めて白い部屋を出た。

 しかし、何も変わらなかった。
 いや、同じ部屋が続いていたわけではないが、部屋と同じで、廊下もまた真っ白だった。
 床も、天井も、壁も。どこまでも白く続いている。

 そして、等間隔に並ぶ白いドア。

 ―――この部屋の中、それぞれに患者がいるのだろうか?

 その割に、建物の中は静けさに包まれている。
 床を滑る車椅子のタイヤの音と、医者と看護婦の足音だけ。
 他には、何の音も、誰の声も聞こえない。

 ―――ホールで待つヒトたち・・・私と同じ目覚めたばかりの。

 医者の言葉を思い返して、考える。
 けれど、あれだけの言葉では何もわからない。

 ―――私と同じ状況のヒトが、そんなにいるのか?

 記憶はないが、それが不可解なことだというのはわかる。
 そんなのは、絶対におかしい。

 医者や看護婦に訊いても、はぐらかされてしまう。
 仕方なく黙って、そのホールとやらに着くのを待つしかない。

 白い廊下を進み、やがてエレベーターの前に止まる。
 そのエレベーターもまた白く、車椅子は後ろ向きに引き入れられた。
 医者が押したのは、1階のボタン。
 エレベーターは音もなく下がり、すぐに1階に着く。
 開いた扉の先は、やはり真っ白だった。

 部屋を出てからも、窓がひとつもない。
 外の景色は見れず、白以外の色合いを目にしていない。
 いいかげん、目がおかしくなりそうな気もする。

 しかし、それを抗議する間もなく、車椅子はある両開きの扉の前で止められた。

「ここだ」

 医者が扉を押し開き、中へ入る。

 室内にいた十人近いヒトたちが振り返った。
 皆、無言で・・・誰もが車椅子に乗っている。
 他に、医者や看護婦の姿はない。
 私のところへ来る前に、一人一人この医者と看護婦が連れてきたらしい。

「お待たせしました。これで全員が揃ったことになります」

 そう言って、看護婦は私の車椅子を部屋の奥へ進めた。
 その間に、医者は部屋の右手・・・唯一置かれた机の方へ歩いて行く。
 看護婦もまた、私を医者の方へ向くように方向転換させると、そちらへ歩み去った。

 見回すと、部屋にいた車椅子は全部で8。
 乗っているのは、小学校に上がったくらいの子供から、私と同じくらい・・・20代前半の若者まで様々。
 男と女はちょうど半々。

 部屋は、小ホールといった感じで、そう広くもない。
 ただ、やっぱり窓がない。

 ―――他のヒトは自分の状況を知っているのだろうか?

 見た限り、誰もが無表情で、何を考えているのかわからない。
 話し掛けるのも憚れて、私は諦めて、前に向き直った。

「まず一言。皆さんに申し上げる言葉としては、これが適切でしょう」

 言ったのは、看護婦。
 医者は、机に置いてあった書類に目を通しているらしく、顔を上げようともしない。

 演説をするかのように、看護婦は皆の顔を見回して、言う。

「皆さん、誕生日おめでとうございます」

 ―――た、誕生日?

 ここにいる全員が、今日揃って誕生日。
 いきなり言われても、腑に落ちない。

 とはいえ、記憶がない以上、それが間違っているとも言えないのだが。

 周りを見ると、皆それぞれ差はあるが、驚きを示していた。
 その様子に、少し安堵する。
 何も知らないのは、自分だけではない。

「年こそ違うとはいえ、皆さんが今日誕生日を迎えられたことは本当です」

 皆の戸惑いを抑えるように、看護婦は無表情ながら初めて優しさを含めた。
 私を含めて9の顔が、恐る恐るお互いの顔を見やり、目が合ってはすぐに逸らす。
 誰もが、一言二言の言葉では消せない戸惑いを抱えている。

「何故なら、皆さん何年後かはわからなくても、誕生日に目覚めることだけは決まっていたのですから」

 ―――目覚める日にちだけは決まっていた?

 やっぱり、意味がわからない。
 しかし、看護婦は淡々と説明を続けた。

「その理由はまだ解明研究中ですので説明はできませんが、今の皆さんへの説明には必要ないでしょう」

 ―――未知の病気ということだろうか?
 ―――いや、医者は「病気ではない」と言った。「病気の一種」とも言ったが。

 矛盾している。
 病気であって病気でない・・・きちんと解明されてないから、断言できないってことだろうか。
 だが、それにしても、何かがおかしい。
 記憶を失うような病気なんてあるものだろうか。
 新たな病気なのだから、どんな症状が出ても不思議はないのかもしれないが。

「ひとつひとつ説明していきます。皆さん、落ち着いて聞いてください」

 そして、長い説明が始まった。





 看護婦の説明でわかったのは、大きくわけて3つ。

 世界の状況。
 私たちが長く入院していた理由。
 そして、私たちに何故記憶がないのか。

 信じられない。信じたくない。でも、信じるしかない事実。

 傲慢な人間の歴史。
 犠牲になった自然―――空気は汚れ、水は濁り、草木は枯れ、死滅する生物たち。
 その中でも、人間は生きる道を模索し、進化を遂げた。

 それが科学力の結果なのか、人間の辿るべく定められた運命だったのかは不明。
 けれど、人間たちは生き残る道を得た。

 可能な限り外界の汚染を遮断し、生活空間を確保する。
 汚染された食物を選り分け、最低限ギリギリの危うい安全の中で生きられるだけの免疫力。
 いつからか人間は、その免疫力を持って生まれてくるようになった。
 多少の汚染になら耐えられるだけのチカラ。

 しかし、ここにいる私たちには、そのチカラがなかった。

 少なくなったとはいえ、稀にいるらしい。
 昔のように免疫力を持たずに生まれてくる赤ん坊が。
 また、持っていても生活をしていくのは困難な程度しか持たない者が。

 原因はわからないが、先祖返りの一種という説が一番有力らしい。

 昔の人間には、当たり前の状態。
 強力な免疫力などなくても、生きられた時代では。
 だから、症状としては、病気であって病気じゃない。

 それでも、そのままでは生きられないために、生まれてすぐ治療に入る。
 その際、たとえどれほど注意したとしても、汚染を完全に遮断することは出来ないため、
 同時に、コールドスリープ―――冬眠のように眠らせるのだという。

 様々な研究を重ね、免疫力を高めるための薬を投与し、生きるチカラを与える。
 その間に、睡眠の深さを体を成長させるだけの加減をし、一般的な知識も学習させる。
 いわゆる睡眠学習と言われるモノ。
 混乱を回避するために、現実の環境を除いての最低限の知識。
 必要な免疫力を計算すれば目覚める時期は決まっているから、目覚める年齢に合わせて。

 だから、基本的な常識と呼ばれる知識はちゃんと知っている。
 子供が成長しながら学んでいくように、私たちも教えられたから。

 でも、それに伴うはずの記憶は何もない。

 そう、記憶を失ったわけではなかった。
 そんなモノ、最初から私たちにはなかったんだ。

 生まれてすぐに両親から引き離され、眠らされた。
 だから、何も知らないのが当然だったわけだ。

 睡眠学習のための資料も、個人個人に合わせて作られているわけではない。
 治療に何年かかるかで分けられているだけなのだから。
 個人の名前や生活の違いまで、細かく資料が用意されていないのだから。

 生きる道はあるとはいえ、人口は減り続けているらしい。
 そんな環境では無理もないだろう。
 だから余計に生まれてきた赤ん坊は、一人でも多く生かすことを考える。
 この建物は、そのための場所であり、数少ない希望のひとつ。
 それでも、この場所にばかり働き手を回すことは出来ない。
 もっと人手があれば、個々に合わせた記憶を用意することも可能なのだろうが。

 私たちは、看護婦の説明に何も言えなかった。
 きっと何十回何百回と繰り返してきた説明なのだろう。
 看護婦は淡々と語り、医者は一言も口を挟まなかった。
 無表情の奥に疲労を滲ませ―――彼らはきっと、わかっているに違いない。

『皆さん、誕生日おめでとうございます』

 看護婦はそう言った。

 確かに今日は私たちの誕生日なのだろう。
 私たちは、今日ようやく生まれた。
 何も知らず、母の胎内にいるような感覚のまま夢を見続け、今日、初めて本当の外界を知る。
 それが誕生であり、生を受けた瞬間。

 赤ん坊と同じようには泣かないけれど。
 赤ん坊よりは知識も判断力もあるけれど。

 それでも、今日この日が、私たちが生まれ落ちた日。

 けれど。

 彼らがわかっていることは、私たちにも予想できるくらい単純なことだ。
 何より、彼らを見てれば、そう思わずにいられない。

 ―――この世界に、生きていく価値があるのだろうか?

 無表情を貼り付けて、何が楽しいかもわからない。
 ただ滅び行く世界を見守るだけの生活。

 約20年を、生きるためにと治療にかけてまで。
 この世界を生きる意味が、本当にあるのか?
 回復する余地のない、この世界を。

 それとも。

 これが、傲慢に生きてきた人間たちの最期の義務なのだろうか。



 ―――私たちに、外界へ出ることを拒否する権利は、ない・・・










 <終>


 *******

以前に、本館の方の読書日記に試しに上げてみたブツ。
神楽のネット上でのオリジナル初公開作品。。。
最初に「白い部屋」って言ってんのに、ページ真っ黒ってどうなんだろう(痛)
もう『暗い』としか言えない話ですね・・・;
ちなみに、神楽の誕生日だからってな理由で上げた記憶が。
いや、自分の誕生日だったら「それは嫌だろ」ってのもアリかな〜とか思って(何故)







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