−−−桜と…




 重い体を窓辺にそっと寄せる。
 引いてきた椅子に腰を下ろして、息を吐いた。

 かつての子供部屋。
 私たちの、思い出の場所。
 生まれる前から、ずっと一緒で。
 離れてからも、何度となく思い出してた。
 今はもう片付けてしまった机もベッドも本棚も。
 そこに在るのが当たり前だった日常を。
 時が過ぎることの意味を、考えもしなかったあの頃を。
 一緒に笑って、泣いて、怒って、ケンカもして。
 ―――楽しかった日々。

 変わらないのは、この窓から見える景色だけね。

 口元に笑みを乗せて、わずかに窓を開けた。
 そよいだ風が前髪を揺らして通り過ぎる。
 春の香りを運ぶ風の、その心地よさに目を閉じて。
 それでも、記憶の中にある景色は見えるから。

 二人の大好きな大きな桜の木が。
 満開に咲いた、薄いピンクの花々が。
 そよぐ風に、少しずつ舞い散る花びらが。

 今年も変わらず、庭を彩って。
 学校にあるのと同じ種類のはずなのに、特別に見える。
 昔も、今も、変わらず。
 私たち二人の、大切な桜。

 コンコン。

「美弥? 母さんが昼飯の用意が出来たって」
 開いたドアから覗いた兄の顔に振り返り。
「うん、今行く」
 頷いて窓を閉めた。
 けれど、兄さんは部屋に入って来て、斜め後ろで足を止める。
「変わらないな」
「ん?」
「桜が咲くたびに、お前たちは飽きずにここから見てたよな」
 庭に出るよりも、この子供部屋の窓から見える桜が好きだと言って。
「うん。今日は、久しぶりだしね」
「急に全寮制の高校への入学決めて……家を出てから、もう六年か」

「……寂しかった?」
「俺が? まさか。と言いたいとこだけど。そうだな、家を出るのは俺が一番早いと
思ってたからな。でも、親父やおふくろの方が寂しかっただろうさ」
「そう、だね。もしかして、そのせい?」
「何が?」
「兄さんが、結局家を出なかったのは」

 一人暮らしをせず、結婚しても他に行かず。
 私たちがまだ中学生だった頃、5歳離れた兄が大学入って落ち着いたら一人暮らし
をしてみたいと語っていたのを覚えている。

「さあてね。ま、俺みたいな無精者が一人暮らしだなんて無謀だって散々言われてた
からな。単に、俺が踏み切れなかっただけさ」
「なるほど」
「……それで納得されると哀しいもんがあるけどな」
「ふふ。兄さんも変わらないね」
「うん?」
「なんか、ホッとした」

「……お前も、変わらないよ」
「……そうかな?」

「さっきな。桜を見てる姿が、昔の美弥とだぶって見えた」
「…………」
「で、一瞬だけど、隣りに居る紗弥の姿まで見えた気がしたんだ」
 桜を見る時は、いつだって一緒だったから。
 時間を決めてたわけでもないのに、気づくと隣りに並んで見てた。

「実際、いるのかもしれないけどな」
「……え?」
「久しぶりにお前が帰ってきたからさ。紗弥も喜んで、ここに来てるかもな」
 その言葉に、反射的に隣りに目を向ける。
 定位置―――椅子を持ってきて座る場所はいつも同じ。私が右側で、紗弥が左側。
 今日も無意識に、私は右側に椅子を置いた。
 空いた左側―――ここに、紗弥がいるのだろうか?
 姿を見ることは出来なくても、今も一緒に桜を見てくれているのかな?
「……紗弥?」

 思わず呼びかけた瞬間、空気が揺れた気がして。
 振り返って微笑む紗弥の顔が見えた気がして。

 これは、過去の記憶?
 何度となく繰り返された日常の一コマ?
 それとも……

「美弥?」
「……うん。いるのかもしれないね」
 微笑を返して、もう一度窓の外へ目を向ける。
 何も変わらない桜の木へ。

 ……冬は嫌い。
 大切な片割れを、永遠に喪った冷たい季節だから。
 でも。
 私たちが大好きな桜が咲くには、必要な季節。
 冬がなければ、春の暖かさを―――その心地よさを、ここまで愛しく思わないかも
しれない。あの寒さが、あるからこそ……

 六年前、私は悲哀と喪失感から逃げ出すことしか出来なかったけれど。
 紗弥は、そんな私が帰ってくるのを、ずっと待っててくれたのかな?

「……行こっか」
「ん?」
「お昼。お母さん、待ってるんでしょ」
「あ、忘れてた」
 笑いながら立ち上がって、もう一度だけ、紗弥の定位置を見やる。

「来年も、一緒に見ようね」
 そう、今度は、私と紗弥と、この子と。

 突き出したお腹をさすって、呟いた。

「お、生まれるのか?」
「まだ早いってば」

 笑って、兄の背中を押しながら部屋を出る。

 冬を好きにはなれそうにないけれど。
 過ぎれば、私たちの好きな季節がやってくるから。
 また一緒に、幼い頃のように並んで桜を見られる季節が。

 だから、「冬なんて来なければいい」とは、もう思わない。

 紗弥と、この子と、桜と……
 変わるようで変わらない。変わらないようで変わる、新しい時を過ごすために。
 過去に負けない、幸せを得るために。
 来年もまた、この一時を……












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 春、ということで、桜を絡めてみたり。
 ……でも、書き始めた時はこんな話になるはずでは……(いつものこと;)
 書くきっかけとなった肝心のセリフがなくなってしまいました(痛)
 むぅ、それはまた別の話にまわすとしましょう;


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